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海外で「生きづらい外国人」にならないために

このエントリーは、ドイツで「生きづらい外国人」の状況に陥ってしまった筆者の経験をベースにしています。

「生きやすさ」を求めて

まず海外に出て活動しようとするモチベーションの一つとして、日本の社会構造やコミュニケーションが肌に合わない「生きにくい日本人」の現状を変えるため、という理由も一定数あるかと思います。それ自体は何ら間違いではないでしょう。しかし一歩間違えると、よけいに社会的・精神的に孤立する可能性があります。「生きづらい」を「生きやすい」に変えるため日本を離れたはずが、結局「生きづらい外国人」になってしまっては元も子もありません。

出稼ぎ精神が友達作りを阻害する

孤立する、とはどういう状態でしょうか。その最たるものが、友達がいないという状況でしょう。その原因は何でしょうか。一つは、出稼ぎとして仕事をするためにその土地に住んでいる、という精神構造が考えられます。この出稼ぎ精神は、その土地や社会に同化帰属して住むことと決定的に違う性質があります。それは、逆説的ですが「友達が居なくても生活していけるから」という点です。雇用関係の支配下にいる限り衣食住に困ることは少ないでしょう。しかしそれは対等な関係ではなく、独立的な社会的ステータスではありません。

− じりつ【自立】①他の助けや支配なしに自分一人の力だけで物事を行うこと。ひとりだち。独立。(大辞泉第三版)−

出稼ぎである、と考えている時点で、支配を受け入れて生きることになると言えます。

自立とは、依存先を増やすこと

面白い記事があります。障害者の自立についての話ですが、このテーマは海外に住む人の状況に置き換えることができます。

www.tokyo-jinken.or.jp

・・・“障害者”というのは、「依存先が限られてしまっている人たち」のこと。健常者は何にも頼らずに自立していて、障害者はいろいろなものに頼らないと生きていけない人だと勘違いされている。けれども真実は逆で、健常者はさまざまなものに依存できていて、障害者は限られたものにしか依存できていない。依存先を増やして、一つひとつへの依存度を浅くすると、何にも依存してないかのように錯覚できます。“健常者である”というのはまさにそういうことなのです。世の中のほとんどのものが健常者向けにデザインされていて、その便利さに依存していることを忘れているわけです

実は膨大なものに依存しているのに、「私は何にも依存していない」と感じられる状態こそが、“自立”といわれる状態なのだろうと思います。だから、自立を目指すなら、むしろ依存先を増やさないといけない。障害者の多くは親か施設しか頼るものがなく、依存先が集中している状態です。だから、障害者の自立生活運動は「依存先を親や施設以外に広げる運動」だと言い換えることができると思います。今にして思えば、私の一人暮らし体験は、親からの自立ではなくて、親以外に依存先を開拓するためでしたね。

www.tokyo-jinken.or.jp

外国への移住とは、誤解を恐れず言ってしまうと、自ら進んで社会的障害者となることと同義です。言葉が通じない、社会インフラや習慣の違い、相談できる相手が身近にいない=マイノリティであること。これらはハンディキャップになり得ます。この障害を乗り越える必須条件は、相談できる友人や信頼できる人、それも幅広いチャンネルにおいて、を持っていることです。友達がいない出稼ぎ状態というのは、生きづらい外国人であるということと同義であると言えるでしょう。

私の場合、8年間という長い期間を大学環境で過ごしていました。大学というものはやはり人の集まるところであり、ここで言う依存先のチャンネルを探さなくとも、一通りの生活ができるようになっていました。そこに頼りきっていたため、いざ新たなつながりを探すとなったときに、アンテナの反応が鈍っていました。その結果は言わずもがなです。

自由度が低ければ他人に利用されやすい

依存先が少なく、暮らしの自由度の低い人は、選べる環境や人間関係も限られてきます。それを悪用しようする人種もいます。

仮に、日本から新たな暮らしを求めて海外に来たAさんを、一方的な力関係で都合良く使いたいと考えているBさんがいるとします。Bさんがやることはひとつ。Aさんの依存チャンネルの広がりをあらゆる手段で阻害し、B自身への依存の深度を深めること。限られた環境の中でしか生きられないようにしてしまえば、AさんはBさんに依存し、理不尽な要求があっても追従するしかありません。結果より深い依存に陥っていくのです。

入り江から大海原に向かって泳ぎだしたつもりが、いつの間にか小さな水槽に囲われていた…外国人が多く集まるコロニーでは珍しい話ではなく、私自身もこの悪循環に囚われ、脱出してきた一人です。

上手くいかない時は撤退するのも大切

いくら生きづらいと感じても、少なくとも日本人が日本にいれば生きていけます。海外では生きづらい=精神的な損傷がそのまま致命傷になります。今なんのために海外に住んでいるのか?それを一度冷静に振り返り、まずいと思った時には一度逃げて、リセットするのも大切なことです。

落ち着いた環境で、自分の出来ることを増やすこと、頼る人・頼られる人の幅を増やすこと。そうする内に壁を乗り越える能力が育っていくのだと思います。

多様な価値観に触れる、様々な環境を体験するということは、人生において必ず経験すべきことと考えます。海外で暮らすということは、その理想的な環境です。自立した精神と社会に溶け込む鋭いアンテナを持つことで初めてその恩恵を十分に得られるのではないでしょうか。

生きた技術と今日の工芸

ドイツ在住時、日本の漆職人の方と3年間一緒にひとつのプロジェクトに関わっていました。その時の経験から標題のテーマについて触れたいと思います。

作家と問屋の関係

問屋という業態は、中間コストカットによる競争力強化のため、1990年代から徐々に姿を消して行きました。特に2008年のリーマンショック後にはその傾向が顕著に見られます。

http://www.shokosoken.or.jp/chousa/youshi/28nen/28-1.pdf

中小卸小売業の現状 平成28年度(一般財団法人 商工総合研究所

明治以前の漆問屋は「塗師(ぬし)」と呼ばれ、アートディレクターとしての機能を兼ねていました。職人の特性や得意分野を見抜き、仕事を振り、図柄などデザインの指示もする、問屋と作家の共同作業による産業構造でした。

明治時代以降、「作家」という考え方が生まれ、職人たちは徐々に個人単位で仕事をするようにもなります。しかし、お客さんの要望を理解し、十分な技術的・文化的知識と芸術的センスを併せ持った主人と、時には挑戦的とも言えるその指示に対し、技術と工夫とで応えた名工たちとの共同作業は、より厳しく洗練された漆器を創作したように見受けられるのです。美濃屋製の漆器は、「美濃屋」という一軒のお店の下に結ばれたプロ集団の連携プレーによって、その品質と品格を保たれていたと言えるでしょう。

 想像するに、美濃屋は問屋の機能として挙げたマーケティング、アートディレクション、さらにはブランド、品質、生産体制の管理といった役割を担っていたのであろう。日ごろから、腕のある職人を発掘、育成し、常時抱えておくといったこともやっていたに違いない。さらには、その腕利き職人集団を総合的に動かすシステムを備えていたはずである。

ムダと一緒に捨てたもの(6ページ目) - 日経テクノロジーオンライン 

上記の記事によると、作家の売り上げ保障といった金銭的緩衝材としての役目も請け負っていたようです。またユーザーにとっても顧客対応などの窓口として重要な存在だったと想像できます。問屋が次々消えて行った結果、ディレクション機能を作家各自が負う事になりました。そういう時代と環境なのだろうと思います。

枯れた技術の水平思考

アートディレクションの重要性は伝統工芸の事例が教えてくれるところで、なおかつ汎用性のある概念です。Appleの製品を誰が見てもAppleだとわかるのは、きちんとディレクションされているからに他なりません。「direction」は文字通り方向性を定める仕事であると言えます。

枯れた技術の水平思考」は、かつて任天堂ゲーム&ウォッチゲームボーイを開発した故 横井軍平氏のモノづくり哲学として有名な一節です。この言葉の本質は、時代や世相の変化に対し臨機応変に既存技術を選択・再構築することで当代のソリューションとしていく点だと考えられます。氏の慧眼とも言うべきはユーザーを見抜く力と、それを解決するための技術ソリューションを掛け合わせる柔軟さ、引き出しの多さではないでしょうか。

技術はある日突然断絶する

一方、技術の継承は大きな課題です。技術の質を確保するには量、マスが必要です。裾野の広さが頂点の技術を支える仕組みは、スポーツや学問などどんな世界でも共通しているはずです。

少し前に、工芸界の技術が現実的に消えていく危機が報道されました。

www.j-cast.com

時代に合わせた品質追求をしていけば、どこかで過去の技術が必要になります。その時点で技術が枯れてでも残っていれば活用しつつ接木をして新たな芽を育てることもできるでしょうが、風化し消え去っていれば、それだけで引き出しを完全に失うことになります。

今日の工芸とは、技術が生きているものであることを再認識し継承の仕組みを考える事であり、それを各自が適切に組み合わせることです。ひいてはモノづくり全般の重要な指針になるのではと思います。

自分でメンテナンスを試みることで道具の本質を理解できる

素人がメンテナンスに手を出すと何かしら失敗する

メガネのレンズは熱湯に弱い。それを知らず自分でフレームの角度を直そうなど思い立った好奇心あふれる素人がレンズをダメにしてしまう…ままある事と思います。以前私も知らずにメガネに湯をかけた事があります。温度が低かったため無事でしたが、買ったばかりの上等なコーティングレンズをダメにするところだったと、後から知って青くなりました。

www.megane-enjoy.com

大切な、万が一にも失敗できないような品であれば、メガネに限らず、まずは専門家に相談するのが筋というものでしょう。専門家、即ち、ある分野において知識の偏重や不足を極力無くし、物事の因果関係を幅広く見通せる人であれば、あまり失敗しません。

素人は失敗してナンボ、を前提とした道具を使う

専門家を目指すわけでなくとも、少し何か出来るようになりたい、初心者を脱したい…と思うと、自分で色々試しながら本質を探っていくことになります。そのためには「初心者向けだけど、ちょっと良い品物」を使い込むことが肝要と考えます。何故か。

  1. 高級品をすぐダメにしてしまうと金銭的損失が大きく、やる気をなくす
  2. あまりに安物だと、使いにくくてやる気をなくす
  3. また、安物はメンテナンス出来ないので慣れる前に買い替えになる

メンテナンス次第で7割くらいの性能をずっとキープ出来る品物が、はじめての道具としての目安になるでしょう。どんどん試して、場合によってダメにしてしまっても、その時は専門家に相談すれば良いことです。

私は幼少時から工作が好きでした。そのルーツを辿り記憶を巡らせると、6歳の時に与えられた切り出し小刀に突き当たりました。当時、1980年代後半の時点では、児童全員が鉛筆を小刀で削って筆記用具としていました。私が与えられた小刀は上等な鋼で出来ており、手にしっくりくる木のグリップ、刃に吸い付くようなサヤ…と、明らかに良い品物でした。恐ろしく良く切れ、手を動かした方向にそのまま動き、またそのため手の使い方が悪ければ当然怪我をする、とても素直な道具でした。使い方の良し悪しも、切れ味が落ちた刃を研ぎ直していると実感として伝わってきます。そうして工作を段階的に学んできたように思います。過去の転居のごたごたで紛失しましたが、残っていれば今も使えていたでしょう。

道に具えると書いて道具。自らの成長を「道」とすると、失敗を繰り返しながらも傍で共に歩んでいくパートナーこそ、良い道具ではないかと考えます。

7年ぶりの日本で就職活動したら浦島太郎状態だった

はじめまして、宇佐タクヤです。
どうぞよろしくお願いします。

このブログについて

2010年から縁があってドイツで製造業関係の仕事をしていました。三十代も半ばを過ぎようかという時期になり「このままじゃ日本に帰るタイミングを逃してしまうのでは」と思い、縁者のないドイツで死ぬわけにもいくまいと日本に戻ることにしました。昨年末にドイツの会社を退職し、久しぶりに日本の年越しを体験しました。今年に入って転職活動を始めたのですが、7年ぶりに母国に住んでみると浦島太郎というか完全にお上りさん状態でした。実家のある地方でさえそんな新鮮さなので、首都圏に住んでしまったら大変なことになっていたでしょう。

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「桜きれいだなーすごいなー」というそんなレベルのお上りさん。

転職活動真っ只中ですが、GW明けまでフリーな時間ができてしまいました。ちょうど良い機会なので今までのドイツ生活を振り返ったり、日々気づいたことや考えたことを書き留めていく時間に使おうと思い立ちました。

リハビリのつもりで転職活動

今年の1月から約4ヶ月間、実家の客間で居候のようなことをしながら仕事を探しています。「離職して実家暮らしで4ヶ月もかけて転職活動とか、ずいぶんなイージーモードだな!」と思われるかもしれません。実際その通りで、明日の食事と寝る場所(あと通信環境)を心配しなくても良いというのは大変ありがたいことです。平日だってフルに使えます。

長いブランクから、転職をするにしてもセオリーも分からず、履歴書の書き方から始めました。今回ハローワークには随分お世話になりました。10歳以上離れた学生さん向けのセミナーに混ぜてもらったり。そう、自分は浦島太郎なのだ、玉手箱を開けてしまったおじ(い)さんなのだ、と自分に言い聞かせつつ。

とりあえず野たれ死ぬことはない

一番は両親が健在でしばらく居候できたという状況に何よりも感謝しなければならないでしょう。普通の生活がある、という精神的支えは大きいものです。

そしてコンビニの存在感がすごい。

  • ポートフォリオ印刷しなきゃ→上質紙も使えるマルチプリンター
  • 保健・年金支払いしなきゃ→公共料金支払いサービス
  • (頭脳労働で)おなかすいた→ブラックサンダー

今の自分のためにあるようなサービスの数々に驚愕。そうだった、実にコンビニエンスなものだった、と徐々に感覚を取り戻しつつ、一方コンビニが急に無くなると日本の経済インフラは死んでしまうのでは、と余計な心配をしたりもした。

転職活動ばかりしているわけでもない

動けば動いただけ結果が出る、というものでもないのが仕事探しだと思います。適性試験対策などは、やった分だけ結果が出ると思いますが。それでも合間の時間があるわけなので、「1日1つ何か新しいことをやろう」というゆるい指針を立てていろいろなことに手を出しています。

最近のテーマはこんな感じです。

  • 3D-CADソフトのFusion360を使っていろいろ作る
  • RAW画像データのデジタル現像
  • 旅行に行く ランニングや筋トレ
  • フォトアルバム作り

次回以降はこれらのテーマにも触れたいと思います。